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東京高等裁判所 昭和39年(く)85号 決定

少年 S・Y(昭二一・一・二〇生)

主文

原決定を取り消す。

本件を東京家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の要旨は、原決定は少年の本件保護事件について、非行事実に関する判断のみにとらわれ、少年に対する要保護性の判断を誤つた結果、これを中等少年院に送致する旨の決定をしたが、少年に対しては在宅のまま保護観察処分によつて十分にその補導に万全を期し再非行の防止をなし得るから、原決定を取り消して、更に適切な決定を求めるため、本件抗告におよんだというのである。

よつて、当裁判所は一件記録を検討し、更に事実の取調べをした結果をも綜合して次のとおり判断する。

本件非行事実の内容は、少年が自動車運転の免許がないのに、道路交通法規に違反して普通貨物自動車を運転し、重大な運転上の過失によつて、自転車に乗つた通行者を傷害の結果死に致したというものである。原決定は、まず、少年の父母に少年の保護を求めることができないこと、少年の勤務先○林○雄の経営する○瀬研磨有限会社にも、このままでは少年に対し果して適切な補導育成を期待し得るや否や、幾多の問題があり、少年の知能、性格面からみて、多分に社会的不適応状態に陥る危険性が大であるから、これを中等少年院に収容矯正の必要があると判断したものである。

少年の両親が本籍地にあつて、父は戦傷により失明し、母は心臓病を患い貧困であつて、親として少年を保護育成する能力のないことは原決定の示すとおりである。しかしながら、少年は○林○雄が母親の血縁に当るところから、同人を頼より、また、実の姉S・U子が既に東京に出て、これも研磨加工業を営んでいたところから、上京して○林の経営する○瀬研磨会社に研磨工として就職して今日に至つたものである。そこに働く先輩、同僚もすべて同郷の東北地方出身の素朴な人達であり、わけても、少年は口数が少なく、その性格も極めて消極的内気であつて、頭脳も決して良い方ではない。しかし少年には一般の非行少年に見受けるような、悪賢さは少しもなく、純朴な性格の少年である。少年は一般の非行少年に比較してその職業能力も低く、中等少年院に収容されてからも、極めて初歩的な職業指導を受けているのであるが、少年としては能力に乏しくとも、自分なりに、既に二年間経験した研磨の仕事に終生をかけようという確い決意さえしているのである。木工、板金、印刷の仕事について試験指導を受けても、自分は研磨工になるのだ、といつて、このような指導を喜ばないというのも、あながち原決定が指摘するように自己中心的な偏狭に由来する、とばかり言うことはできない。仮に能力はあつても徒に職を転々として不良化してゆく非行少年とは違うのである。少年は乏しい自分の俸給の中から、三千円、五千円の金を国元の両親に送金し、盆暮には姉U子と帰省して両親に孝養を尽してきた。少年が酒を飲むこと、煙草を喫うことをその非行性の顕われのように、原決定は指摘するのであるが、少年は休日を利用して時偶映画を見たり、パチンコ遊びに興ずる程度で、仕事を怠つて悪い遊びをしたことは一度もなく、そのようなことで雇主の○林○雄より注意警告を受けたことさえないのである。日常は終業後同僚とテレビを見て時を過すという平凡な生活を繰り返えしてきたものであつて、その飲酒、喫煙も、これをもつて特にその非行性を強調する程のものではない。○林○雄の研磨加工業も、文字通りの弱小企業であつて、そこに起居する工員達に対して統制ある規律がしかれていなかつたこと、そのために、自動車運転の免許のない工員が隠くれて自動車の運転をし、本件の如き重大な失策を招いたことも否定し得ないところであるが、少年は本件に懲りて最早再びハンドルを手にしないことを自分に誓つているし、○林○雄自身も雇主としての責任上本件被害者に対して相当多額の弁償を余儀なくされ、将来は工員に対する監督を厳重にして、二度と本件の如き災禍を招かないよう細心の注意警戒を払うことを誓つているのである。

純朴な東北の農村に生育し、素朴な同郷の人達とだけ交つてきた少年が、一般の非行少年や、虞犯少年に伍して果して健全な補導育成が期待できるかどうか甚だ疑問である。能力が低いなりにも、研磨という平凡な仕事を自分に与えられた天職として守り通そうとする少年のために、遙かに高度の能力と技術を必要とするような劃一的職業補導が却つて過重な負担となることも考慮しなければならない。一定度の非行性少年の集団補導矯正を建前とする少年院がそのまま、本件少年の保護育成に適切なものかどうか疑いを深めざるを得ない。少年は非行少年仲間の暗語が判らなくて、当惑したというのであるが、反面勉強の嫌いな自分にとつて、読み書きを教つたことは、有益であつたと述懐しているのであつて、是は是とし、非は非とする素直さが、まだ、そこなわれていないのである。この少年をこのまま一般の非行少年と共に集団的に補導する場合、却つて弊害の生ずる虞れさえあるのである。原決定は少年に社会適応性がないようにいうのであるが、少年をしてその志す一研磨工としての途の続けさせることが、少年なりに、これを社会に順応させる所以ではないだろうか。

交通事犯の少年を、一般に非行少年と区別して補導すべき収容施設の必要性は、近時少年による交通事犯の多発によつて、倍加しているのであるが、本件少年は研磨工として身を立てようとしており、自動車運転をその業務としようとはしていないのである。寧ろ本件によつて、最早二度と自動車のハンドルを採らない決意をしているのである。本件は同僚をまねて偶々軽卒にも無免許運転をして重大な事故を惹き起したもので少年自身自分の能力では自動車運転の技術を身につけることは出来ないことを悟つたのであつて、この少年に対しては最早交通法規違反や交通事犯を中心とした特別補導矯正を加える必要も存在しないのである。

少年の雇主○林○雄は監督上の責任を負つて自ら被害者遺族に対し損害賠償として一七五万円を支払うことを約定し、内金七〇万円の支払を履行し、残余は三万円宛の月賦弁済をもつてこれを完済することとして、民事上の和解が成立したのであるが、勿論少年自身にもその責任の一部を負担させ、将来の反省自粛を促すため、少年を引き続き研磨工として使用しその俸給の一部より毎月少額ではあるが金千円宛を償還させることとし、少年の将来については責任をもつてその補導に当り、交通事犯の如きはもとより、その平素の生活行動にも十分の監督を怠らないことを当裁判所に誓約しているのである。

以上のとおり、少年は雇主○林○雄に委託して、その指導監督に併せ、適当な保護観察によつて、その補導に万全を期するのを相当と認める。原決定が少年を中等少年院に送致すべき旨決定したことは不当であるから、少年法第三三条第二項によりこれを取り消し、本件を東京家庭裁判所に差し戻すべきものとして主文のとおり決定した。

(裁判長判事 兼平慶之助 判事 関谷六郎 判事補 小林宣雄)

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